皇帝 ビル・ゲイツ


20世紀の覇者

今回の主人公は、20世紀に類を見ないビジネス上のサクセスストーリを作り上げ
経済界、ソフトウェア業界にその名を残すであろう人物
ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世、通称ビル・ゲイツその人です

ビル・ゲイツ©Microsoft Corporation

正確には4代目なので四世なのですが、正式なビジネスでは三世と名乗っています
ビル というのは ウィリアム の愛称で、ビル・ゲイツという名前で世界中に知れ渡っている
彼は、Microsoft 社の会長兼 CSA(元 CEO)であり、世界で1、2を争そう大富豪でもある
OS 市場のほとんどのシェアを牛耳る Windows を作り出した会社のドンなのだ

彼は、筆者にとっても憧れの人物である
例えるなら、ロッカーを夢見る少年が憧れている「ロックの神様」のような存在である
記念するべき第一話は、フォン・ノイマンかビル・ゲイツか迷っていたが
やはり、最初に語るべき人物は世界が注目するビル・ゲイツ氏にすることにした

彼の会社 Microsoft は、コンピュータをやっている方なら知らない人はいないでしょう
おそらくこの文書を読んでいる方も、Windows や Internet Explorer を使っている方がほとんどで
それらのソフトウェアは Microsoft の製品である
技術者の多くも Microsoft の製品を使うし(筆者は例外…主にボーランド製品を使う)
ビジネスマンも、ビジネス関連のソフトウェアの多くは Microsoft 製品を使っているだろう

このように、ソフトウェア業界のほとんどが Microsoft からの圧力があり
ほとんどの業界が、何らかの形で Microsoft の影響を受けている
まさに、ライバル企業にとって Microsoft とは難攻不落の要塞である
このようなことからか、Microsoft 帝国という言葉もよく耳にする
そして、その帝国を頂点に立っている人物こそ、彼、ビル・ゲイツなのである
(因みに、ハードウェア業界では Intel が帝国と呼ばれる存在であるだろう)

Microsoft は昔から代々引き継がれた企業ではない
ビル・ゲイツがゼロから作り上げ、わずか一代で世界の Microsoft に成長させたのだ

ビル・ゲイツは、1955年10月28日、米ワシントン州のシアトルで誕生した
情報技術業界の歴史を変える人物が、この世界に生を受けた瞬間だ
父親は弁護士、母親は銀行家の娘という比較的裕福な地位の家に生まれた

彼がはじめてプログラムを書いたのは13歳の時
巨大で、低速で、タイプライターとプリンターだけのコンピュータで
三目並べ用の単純なプログラムを書いたという

彼がこの時触っていたコンピューターは、私立レイクサイドスクールの母親クラブの発案で
生徒にコンピュータを与え、自由に使わせようとしたものだった
近年になって、ようやく教育機関が積極的に学校にコンピュータを配置しているが
当時は、一般人がコンピュータを見る機会など、まずなかった時代である
この時代に、コンピュータの導入を考えた母親クラブの方々の決断はすばらしいものである
この決断がなければ、Microsoft と皇帝ビル・ゲイツは誕生しなかったかもしれない
ある意味では、この母親クラブの方々こそ先駆者と呼んで良い
(ゲイツが、コンピュータを使った教育を推奨する理由もわかる気がする)

こうしてはじめてコンピュータに触れたビル・ゲイツは、マシンに魅力を感じたという
巨大で、高価で、大人用の難しいマシンを制御できることが、彼はたまらなかった
自分で作ったプログラムが動くかどうか、すぐに結果を得ることができる
取得した知識の手応えを感じることができる、プログラムの開発に彼は夢中になったのだ
ただし、勉強していたのではない、ビル・ゲイツは難解なコンピュータで遊んでいた
プログラムを作り、それを改良したり友達と見せ合ったりして楽しんでいた

彼がこの時、好んで使ったプログラミング言語は
後に世界中の開発者が使うことになるBASIC言語である
そして、この BASIC が Microsoft 誕生のきっかけとなる

この当時、世界にはまだ「パーソナルコンピュータ」という言葉はなかった
巨大なコンピュータを大学などが保有し、端末からそれにアクセスするという形態が一般で
個人がコンピュータを所有するという概念が、根本にない時代である
(ただし、すでに携帯コンピュータが登場することを予言した人物はいた)
この時代は定型処理用汎用機の開発で牛耳っていた IBM 帝国の時代である
彼は、コンピュータを使うにもお金がかかるようなシステムが不満だった
そして、個人でコンピュータを所有するという時代を夢見ることになる

ビル・ゲイツが私立レイクサイドスクールに通学している時代
彼にはポール・アレンという一人の友人がいた
この人物こそ、後にビル・ゲイツと共に Microsoft 創立する人物である

ビル・ゲイツやポール・アレンと数人の仲間達は
コンピュータの利用料金を支払うために、簡単なプログラムの仕事をはじめた
その稼ぎは一夏にして5千ドル、学生にしては多すぎる金額である
この時から、彼らは企業との取引やビジネスについて暗黙的な知識を得ていったのだろう

ビル・ゲイツとポール・アレンには、技術能力で面白い特徴がある
ビル・ゲイツはソフトウェアの開発能力に優れ、ポール・アレンはハードウェア専門だったのだ
ゲイツに比べ、アレンはハードウェアに対して知識を持っていた
この二人の組み合わせは、互いに弱点を補完する非常に良い関係だったのだろう

彼らが、こうしてコンピュータの知識を着実に身に着ける一方で
1971年、世界初のマイクロコンピュータ用のLSI 4004 をインテルが発表
4ビット CPU という、今から見ればお粗末な機能だが
当時にしてみれば、世界ではじめてのマイクロコンピュータの誕生だった

翌年、1972 年の夏、彼らに転機が訪れた
ポール・アレンは、「ポピュラー・エレクトロニクス」誌というコンピュータ雑誌を持ち
143ページにある記事をビルゲイツに見せた
そこには 4004 を開発したインテルが、8ビットの 8008 を開発した記事だった
これは、日本の精工舎が高級卓上計算機用に設計してインテルに依頼したものだった

この記事を見て、彼らは確信した
性能は、大規模なコンピュータに比べればごく限られたものである
しかし、この小さなチップがより強力になって、マイクロコンピュータが普及することを…

8008 を扱うには、これまで多くの人が親しんでいた言語を使えなかった
過去、当時にしてみれば小さかったミニコンピュータで BASIC を開発した経験のあるゲイツは
この弱点を克服するために、8008 用の BASIC を作れないかと試みる
ところが、8008 の能力では、到底実現できないということが明らかになった

それでも、彼らは 8008 で簡単なプログラムを作って会社を作った
この時の会社は Traf-O-Data (トラフォデータ) と命名された
いくつか仕事があり、報酬を得るもののマシン自体を買ってくれる人はいなかった

1973 年、ビル・ゲイツはハーバード大学に進学する
ポール・アレンもこのころ、会社に就職してミニコンのプログラムの仕事をはじめる
二人は将来について語り合っていたという

この年は、その一方でインテルが 8080 チップの開発に成功していた
このチップこそ、Microsoft が最初にプログラムするコンピュータとなります
ゲイツたちの希望の水準に満たなかった 8008 に比べ
8080 は後にベストセラーとなる強力な機能を備えていました

1974 年、運命の年まであと一年に迫った
この年の春、「エレクトロニクス」誌にインテルの 8080 の記事が載った
内蔵トランジスタの数が 8008 に比べ大幅に増えており
これを見たゲイツたちは、もはや複雑で巨大なコンピュータの時代は終わったと感じた

彼は、再び 8080 用の BASIC プログラムの開発に着手しようとする
そして、大手コンピュータ会社に 8080 BASIC を書こうと手紙で申し出る
しかし、その手紙に対する返信はどの会社からもなかった

BASIC の開発で再び失望することになるゲイツであった
大手メーカーは、いまだにマイクロコンピュータの可能性に気がついていなかったのである
とくに、IBM のような汎用機メーカーは、その栄華を脅かす小型コンピュータの存在は
むしろ潜在的に否定的だったのかもしれない

さぁ、そしてついに運命の年 1975 年が訪れます
この年を境に、汎用機の時代は終わりパーソナルコンピュータの時代が幕を開きます
これは、コンピュータ業界において明治維新のような大革命となります

その先駆けとなったコンピュータが MITS 社のアルテア8800です
8080 チップを使った、世界最初のマイコン・キット誕生の瞬間です
これは2年後、世界規模のマイコン大ブームの起爆剤となります

アルテアMITS アルテア

アルテアの記事が掲載された「エレクトロニクス」誌を見て二人は思います
「俺達抜きで始まっている!みんな、このチップのソフトウェアを書きはじめるぞ」
彼らは、是が非でもパーソナルコンピュータ革命の第一ステージに参加したかった
ゲイツとアレンは、弱気ながらも、再び会社を設立することを決心する

運命の雑誌「ポピュラー・エレクトロニクス」「ポピュラー・エレクトロニクス」誌

会社を設立するにあたり、彼らの最初の仕事は決まっていた
そう、彼らが何度も主張した 8080 専用 BASIC の開発だ

話は飛躍して数週間後、アルテアを開発した MITS 社は奇妙な電話を受けることになる
名も知れぬ大学生から、奇妙な電話を受けたのは、MITS 社のエド・ロバーツだった
彼こそ、世界初のマイコン・キット「アルテア8800」を開発した人物である
若者は電話越しに言った


アルテア8800用に BASIC を開発した


ロバーツにとって、この電話はさぞ奇妙だっただろう
ひょっとしたら、笑いたい気持ちを必死に押さえていたのかもしれない

実は、「エレクトロニクス」誌に掲載したアルテア8800はただの箱だった
世界でただ一つのアルテア8800は輸送中に紛失してしまったのだ
だから、雑誌に掲載されたアルテアは、急遽用意した外観に過ぎなかった

その存在しないアルテアの BASIC を開発したと申し出るものがいる
そして、そのデータ(当時は紙テープを使っていた)を持ってアレンという男が訪れた




アルテア8800 で BASIC は動いた……




話は、ゲイツとアレンが BASIC の開発を決断した時に戻ろう
彼らには、手元にアルテア8800がなかった
それ以前に、彼らは 8080 チップすら実際に目にしたことすらなかったのだ

見たことも触ったこともないコンピュータのプログラムを書く
今の時代と異なり、コンピュータに互換性という概念がほとんどなかった時代にである
これが、彼らの最初の課題となった

そこで、ハードウェア専門のアレンが魔法を使ってみせる
アレンは、8080 チップのマニュアルを徹底的に研究した
そして、大学の大型コンピュータ上で 8080 と同じ動作をするプログラムを書いたのだ
そう、アレンは8080 エミュレータを大学のコンピュータで作成したのだ

ゲイツは、このエミュレータを使ってアルテアの BASIC を書く
1975 年の冬のことである
彼らは眠ることなく、もうすでに昼と夜の感覚もなくなっていた
眠る時は、いつも机か床だった
ほとんどなにも食べず、誰とも会わない日々が続いた
限られた機能しかないコンピュータに BASIC を組み込む思考錯誤が繰り返された

開発から5週間後、ついに BASIC は完成した
ビル・ゲイツはアルテアの MITS 社に一本の電話を入れる


アルテア8800用に BASIC を開発した


この電話を受けたのは MITS 社のエド・ロバーツだった
ポール・アレンはゲイツが書いたプログラムをパンチした紙テープをもってMITS 社に向かう
一説では、MITS があるアルバカーキに飛行機で向かう途中
アレンが、書き忘れたブートストラップ(プログラムを起動させるためのプログラム)を書いたという

この BASIC を MITS に売り込むと同時に、彼らは会社を設立した
世界最初の、マイクロコンピュータソフトウェア会社の誕生である
彼らは、この会社に Microsoft (マイクロソフト) という名前をつけることにした

大学の教育用コンピュータを商業目的に利用したことなどは、後に問題となった
ライセンスなどにうるさい Microsoft だが、その誕生はエミュレータと不正から始まったのだ
しかし、自分の環境を最大限に利用してビジネスに転化する彼らの才は評価したい

後に、世界は汎用機からマイコンブームとなり、パーソナルコンピュータが誕生する
Microsoft はゲイツの思惑どおり、見事にこのブームに乗り上げる
同時に、汎用機に縛られた IBM などは PC 業界に圧迫されることとなった

失業者に「なぜ、ビジネスを自分で作らないのか?」と聞けば
多くの人は「私にはそんな資金はない」というだろう
しかし、ビル・ゲイツは多額の資本で会社を設立したのではない
発想と最先端のビジョン、そして行動力を持って世界の Microsoft を作り上げたのだ

最初は BASIC 屋からはじめた Microsoft は、後に OS の開発に着手する
IBM のコンピュータがフロッピーディスクから起動できる MS-DOS を採用した
こうして、80年代は IBM の強い影響で、Microsoft は成長を続ける
(90年代には IBM との決裂が決定し IBM は Microsoft に宣戦布告することになる)
そして90年代、Windows の開発で、Microsoft は揺るぎない地位を確立した
Microsoft のライバルといえば、司法と独占禁止法のみとなったのだ

ビル・ゲイツ、彼は見事に開発者からビジネスオーナーに変貌した
これもまた、Microsoft が今ほど発展する理由の一つだったのだろう
彼の名は、情報技術業界だけではなく、あらゆる経営学の書物にも出現する

20世紀の成功者の一人として、そして IT 革命の先駆者として
彼の名は歴史に刻まれるだろう
ビル・ゲイツはナポレオンに憧れ、ナポレオンに関する書物のほとんどを読破したという
そして、彼の辞書にも不可能という文字はない……

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