不死鳥 スティーブ・ジョブズ


栄光、裏切り、そして…

コンシューマ向けのオペレーティングシステムといえば、筆頭は Windows である
しかし、現代のパーソナルコンピュータのモデルと言える存在を築き上げ
Windows にシェアが追いつけないまでも、一部のユーザーに絶大な指示を得ている
あの Apple Computer の Macintosh の存在も忘れてはならない

今回は、唯一 Windows とまともに戦った個人向けの有料 OS、Macintosh を作ったメーカー
Apple Computer を設立した一人の青年、スティーブ・ジョブズ の人生を追う

steve jobs©Apple computer Inc.

彼は、ゲイツと同様に、情報業界とビジネス業界で大きく注目される人物の一人である
とくに、ジョブズの人生はドラマに満ちている

時は1955年2月24日、サンフランシスコに情報技術史に名を残すであろう生命が誕生した
将来、卓越したビジネス思想とアイデアでコンピュータに革命を起こすことになる人物
Apple Computer の設立者の一人、スティーブ・ジョブズその人である
奇しくも、この年の10月、情報業界の皇帝となるビル・ゲイツも誕生することになる

ジョブズの数奇な運命は、少年時代に
後にハードウェアの魔術師と呼ばれることになる知人を持つことからはじまる
近年、WoZ と呼ばれる会社を設立して話題にもなった、スティーブ・ウォズニアックである
ウォズニアックは、省略してウォズと呼ぶこともあり
彼が設立した WoZ という会社も、ここからきていることがわかる
ウォズは、オズの魔法使いにかけて「ウォズの魔法使い」と呼ばれるほど
ハードウェアに対しては天才的な能力と才能を発揮することになる
ジョブズとウォズの関係が、ゲイツとアレンの関係に重なって見えるのは偶然なのだろうか?

ジョブズの運命の歯車は、さらに彼が大学を中途退学してから、再び回り出す
彼が仕事として選択した会社、それは、アーケードゲームの概念を作り出した
情報世界の先駆者の一人、ノーラン・ブッシュネルが設立した会社
そう、今はもう亡き、あのアタリ社である。
もし、ジョブズがこの会社にいなければ、Apple Computer は存在しなかったかもしれない
ビデオゲームの会社での仕事は、後のジョブズの思想に少なからず影響を与えたはずである

歴史に「もしも」はないが、アタリもまた数奇な運命を背負った会社である
この会社が一時的に保有していた社員の名に
スティーブ・ジョブズ、そして、情報界の異端児「アラン・ケイ」氏が存在するのだ
もし、アタリが社員の才能を最大に発揮していれば
Microsoft をしのぐ世界企業になっていたかもしれない
後に、現代コンピュータのユーザーインターフェイスの基礎を作り出したアラン・ケイと
それに影響を受け、ウィンドウシステムをパーソナルコンピュータで実現したジョブズ
この二人が一時的にだが存在したこの会社もまた、数奇な運命の一部だったのかもしれない


ある日、ジョブズはアタリに対して提案した
「パーソナルコンピュータを開発し、新しい市場に参入しましょう!」

この時の上層部の判断が、後にアタリとジョブズの運命を決めることになる
アタリは……彼の提案を否決した
そして、ジョブズはアタリを退社し、しばらくの間放浪の旅に出た
この時、時代は1970年だった

1976年、Micro-soft 誕生の翌年に、ジョブズはウォズニアックと共に AppleTを作る
この AppleTというコンピュータが、Apple computer のデビュー作となった
会社の設立にあたり、資金が無かった彼らは身の回りの財産を売って AppleTを作ったのだ
幸いにも、AppleTはある程度の売上を出し、後継機 AppleUに繋げることができた
翌年の1977年、Apple computer は正式に法人化された

AppleTは基盤を剥き出しにしたコンピュータだったが
AppleUはジョブズの才能を見事に発揮した、消費者心理を見事にとらえた作品だった
この AppleUはウォズニアックの技術はもちろんのことだが
それ以上に、美しい外観を持った、ケースの綺麗なコンピュータであることに特徴がある
コンピュータの外見に美学を求めたのは、ジョブズの画期的な発想だった
こうして、AppleUは大ヒットし、Apple computer の名前を世に広める作品となった

AppleUの成功後、目だった功績が無いまま、時代は1979年に進んだ
この年、運命の悪戯か、スティーブ・ジョブズは再び運命の歯車と交差することになる
以前、ジョブズと同様にアタリの社員だった異端児アラン・ケイを率いる
ゼロックス・パロアルト研究所のコンピュータ科学研究所に
ジョブズと Apple computer の技術者たちが見学に訪れたのだった

この場で、彼らが目撃したのは、それまでの常識を覆した「アルト」だった
ウィンドウシステム、アイコン、マウス、ビットマップ、これらは今では当たり前のものだが
当時にこの概念は存在せず、現在のコンピュータの基礎となるこれらのシステムは
このパロアルト研究所の「アルト」と言うコンピュータが、世界ではじめて実現したのだ

これまでのコンピュータ科学者が鼻で笑うような次世代のシステム、インターフェイス
30年以上立った今でも通用しているアラン・ケイのこの思想を反映したアルトは
当時にしてみればタイムマシンと呼べるような奇跡的な存在だった
これに刺激されたジョブズは、GUI をサポートした新しい OS、LISAを開発する

1983年、LISA は正式にリリースされ、Windows も開発が発表された
GUI をサポートした OS を、Apple と Microsoft がほぼ同時期に発表した
実は、これは偶然ではない
想像し難いかもしれないが、少なくとも当時は、ゲイツとジョブズの仲は非常に良く
ジョブズは、アルトの見学後、ゲイツと会談しこのシステムについて語り合ったという

LISA は性能が十分ではなく、しかも高価であったために成功と言える作品にはならなかった
コンピュータが、文字と数字の計算機だった時代に GUI をサポートしたのだから、当然である
とくに Apple は経営陣の能力が不十分である時期が続き、売上が伸びなかった

ジョブズは、経営陣にある人物の才能が欲しいと思った
それは、ペプシコ社のマーケティング部で天才的な能力を発揮し
ついには、1977年にペプシコの社長に就任したジョン・スカリー
彼のマーケティング戦略の右に出るものはいないと言うほど、スカリーは天才的だった

腐敗した Apple の経営を立て直すために、彼を経営陣に加えたい
そう思ったジョブズは、ジョン・スカリーに、こう言い放った


あなたは、自分の人生の残りを砂糖水売りに費やすのか?
世界を変えるチャンスを欲しくはないのか?



このジョブズの一言に、スカリーの心は揺れ動いた
ジョブズとスカリーは、LISA の開発から身を引き、Macintosh 開発計画に乗り出す
しかし、最初の Macintosh は、成功と言うほどの売上を出すことができなかった
そして、Apple が危機的状況となった1985年、さらにジョブズに追い討ちをかける出来事が起きた

解雇

それだけではない、内部では二度とコンピュータ業界に現れるなとすら約束させられた
そうまでしてジョブズを追い出したのは、他でもない、あのジョン・スカリーだった
2年前、ジョブズ自らアップルに誘い、共に杯を交わした同胞の突然の裏切りだった……

ジョブズの引退後、スカリー率いる新生 Apple computer は
Microsoft が Macintosh 用のエクセルを発表し、さらに DTP が発達したことにより
グラフィックスとマルチメディアの分野で Macintosh が注目され、経営が回復される
ジョブズが引退したすぐ後の話なのだから、ジョブズは不運だったとしか言いようがない

Apple では、その後 1993 年まで、ジョン・スカリーが会長の地位を守りつづけたが
この年に辞任し、代わってマイク・マークラーがその地位についた
しかし、その後 Apple の経営と開発は泥沼にはまっていくことになる
最終的には、経営悪化の責任を負って 1996 年に、CEO と会長が続けて解任された

この年、1996 年に会社再建の実力を持つギルバート・アメリオ氏が
Apple の会長兼最高経営責任者(CEO)の地位につくことになった
アメリオは、あのベル研究所に就職していたこともある実力者だった

1990 年代は、帝国とうたわれた IBM がパーソナルコンピュータ市場で完全に敗北し
ソフトウェア産業で大勝利を収めた Microsoft と、CPU で勝利を得た Intel の時代となる
とくに、Microsoft Windows 3.1 の登場以来、Macintosh の地位は大幅に下げることとなった

同時に、IBM も 80 年代の後半、OS/2 の共同開発で Microsoft と決裂していた
PC市場は Microsoft & Intel の黒字組と、Apple & IBM の赤字組という図になる


時を戻して、ジョブズのその後を追うことにしよう
ジョブズは、Apple 追放の翌年、新たな計画 NeXT コンピュータを立ち上げる
NeXT は、ジョブズの思想を余すことなく注ぎ込んだ作品だった

まず、ジョブズは Apple との直接対決を避けるため、PC 用の OS の開発でなく
NeXT とワークステーション用の、いわゆる UNIX 市場の作品として開発を進めたのだった
結局、1993 年に NeXT コンピュータは製品の生産を停止、事実上の撤退を発表した
しかし、この NeXT コンピュータは注目を集め、この時期のジョブズに関する本も存在する

その後、NeXT コンピュータはアプリケーションソフトなどの開発に身を転じ
1995 年に NeXT コンピュータから NeXT ソフトウェアに改名する
こうして、PC 市場の晴れ舞台の裏側で、ジョブズは静寂の時をおくっていた

1996 年、ギルバート・アメリオが瀕死の Apple の指揮権を掌握した
そしてこの年、Apple の新しい未来が創られるその瞬間が訪れる
ギルバート・アメリオは、次世代 OS 開発成功のために、運命の決断を下した



























NeXT ソフトウェアを買収する




















かつて、ジョン・スカリーが冷徹なるクーデターで追放したジョブズ
かつて、Apple computer を設立した創業者のひとりであるジョブズ
その彼の会社、NeXT ソフトウェアの技術と、スティーブ・ジョブズを手に入れる
これが、ギルバート・アメリオが下した Apple 再建の最後の判断となった

1997 年の4月、アメリオは Apple 経営悪化の責任追求によってその地位を失う
そして、ジョブズがふたたび、Apple の全権を掌握した
その地位は、暫定最高経営責任者というものだった
しかし、その後好調に Apple の経営を回復させ、最終的に真の会長兼 CEO の地位を得る

経営再建のために誘った仲間の突然の裏切り、あれから 10 年という月日が流れていた
ジョブズは、一度追放された会社に再び招かれ、不死鳥のごとく甦ったのである

会社設立後、20年以上も全権を掌握しつづけた Microsoft のビル・ゲイツ氏とは対照的に
内部分裂による追放合戦が繰り広げられたスティーブ・ジョブズの Apple computer
しかし、会社を離れ、NeXT で学び得たことを、ジョブズはこれからも活かし続けるはずだ
ジョブズの数奇な運命の歯車は、今も廻り続けているのかもしれない



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